家を出るのがお昼過ぎたので、近場の「奈良の大仏」に行くことにしました。家から30kmの所に「奈良の大仏」があるなんて、最近まで知りませんでした。
ウィキペディアによれば、「大仏」とは大きな仏像の通称(当たり前)。日本では奈良時代に作られた東大寺の奈良の大仏が最初ですが、千葉にはその倍の大きさの鋸山の大仏があります(奈良18m、鋸山31m)。俄然、市原の「奈良の大仏」への期待が大きくなります。というのはウソで、今どきググれば、市原の「奈良の大仏」がどんなものかすぐわかります。
こんなんでした。
お地蔵さんかと見紛う釈迦如来像。平安時代(931年)平将門によって建立された最初は銅製の盧遮那仏でしたが、何度か作り直され、文化元年(1804年)に作られた石像が現在のものらしいのです。
イノシシ猟で谷津道「この先 危険」
市原の「奈良の大仏」を知ったきっかけは、千葉三大ラーメンのひとつアリランラーメンを「八平の食堂」に食べに行ったときです。
山の中にある「八平の食堂」に谷津道(やつみち。何それ? という人は、里山ののんびりした道ぐらいに思ってください)を通って行こうとしたら、
なんとイノシシが出没する時期らしく、道が途中で閉鎖されていました。
軽トラに乗って待っている地元の人らしき人がいたので聞いたら、
「猟犬を離しているので通行止めです」
「じゃあ、この先は行けないんですか」
「そっちは大丈夫」
えええっ、じゃあ、今走ってきた道が・・・!?
「八平の食堂」からの帰り道、そろそろ猟も終わったかなと同じ場所まで行くと、
今度は4人くらい人がいて、
「いま猟をしているから、回り道してください」
「ほかの道知らないんですけど・・・」
「この大仏通りを少し行けば、茂原街道にぶつかるから」
それが「大仏通り」を知って、実際に走った最初でした。
行きはフラット、帰りはヒャッハー
家に帰ってから「大仏通り」を調べると、閉鎖されていた所は通りの一番低い所でした。そこから茂原街道へも、逆の奈良の大仏方面へもアップダウンが続き、距離はそれほどないけど、ロードバイクに乗っている人には結構知られている道なのでした。
肝心の「奈良の大仏」は、その大仏通りを途中から左に入った先にあります。
でも、私はMではないので、「奈良の大仏」まで行くできるだけフラットなコースを探したのでした。
裏から行けば、勾配はそれほどきつくない(最後にちょっとだけ登りますが)。
しかも、閉鎖された所まで大仏通りを逆にたどれば、下り基調になる(はず)。
「奈良の大仏」からの帰り道は実際走ってみると、かなりアップダウンのきついヒャッハーな坂道でした(当社比)。
実際に走ったのが、このコースです。
寒椿が散っていた
初冬の「奈良の大仏」に20分ぐらいいましたが、その間、ひとり。
東日本大震災の時、像が台座から落ち破損しましたが、市と地元の人たちが折半で費用を出し、直したそうです。
傍を見ると、寒椿の花びらに陽が当たっていました。
「奈良の大仏」は、地元の人に愛されている仏様なんだな。静かにおわす土地神様という感じがいい。
ちなみに、これが「奈良の大仏」に向かう村田川沿いの道。千葉市と市川市の間を流れる村田川沿いの道も、ポタリングには最高です。
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